八重子十種
明治の雪
閨秀作家樋口一葉の生涯のうち、中島歌子の歌塾の生徒時代から明治29年胸を病む迄の4年間を作家北條秀司は克明な作劇法で描き出し、初代水谷八重子の一葉(本名夏子)に合わせて森雅之の半井桃水で好評を博した。「たけくらべ」「大つごもり」「にごりえ」等名作を出しながら24歳で夭折した一葉を偲ぶには最適の秀作である。
八重子初演=昭和41年11月新橋演舞場
あらすじ
明治25年、樋口夏子は小説の師匠である半井桃水(なからいとうすい)と想いを寄せ合う仲であった。夏子が文学を志していくうちに二人の小説に対する考え方にはすれ違いが生じてきていたが、それでも夏子の気持ちはかわらない。一方仲睦まじい二人に桃水の従姉の沢村千賀子は嫉妬を感じていた。その年の暮れ、夏子の家は借金返済に奔走していた。夏子の家はもともと士族だったため、母のたきはこの貧乏暮らしが辛く、金になる絵入り小説を書かずに文学を志す夏子に不満を抱え、しばしば文句を言っていた。折も折、夏子は友人野々宮から桃水が結婚したことを知らされる。夏子はこの悲惨な生活のすべてに対して絶望する。明治27年、夏子は桃水と再会する。夏子は文学者として成功し始めていたが、桃水は逆に以前ほど人気がなくなっていた。心の寂しさを埋めるように酒におぼれる桃水を夏子は励ますが彼を迎えにきたのはあの沢村千賀子だった。二人の去った後を夏子は悲しげに見つめていた。それから二年の間に夏子は次々と傑作を生み出し、文士樋口一葉としての地位を確立していた。夏子の家には文学の同人や代筆を頼みにきた酌婦たちなどさまざまな人たちが出入りをしていた。夏子はこの頃から喀血するようになる。その冬、病の回復の見込みがない夏子だったが、彼女は家族の制止も聞かず、とりつかれたように執筆を進めていた。そこへ桃水がやってくる。田舎へ行くことになったので夏子に別れを告げにきたのだ。自分の命をあげたいという桃水の思いを聞いて夏子は女としての喜びを感じる。そして再び力を振り絞って執筆を始めるのであった。