花柳十種
佃の渡し
北條秀司の作・演出で昭和32年12月に新橋演舞場で初演。一人の俳優がおきよ・お咲の姉妹を早替わりで演じるのが見どころの作品。
花柳の役=おきよ・お咲(二役)
あらすじ
佃島にまだ橋が架かる前の昭和15年、佃生まれの佃育ちで現在は赤坂の待合の女将をやっているおきよが船を待っている。彼女が久しぶりに佃にいる兄の米太郎を訪れる気になったのは、命がけの恋をしている妹のお咲の身を案じてのことだった。しがない漁師の娘のお咲は、島一番の佃煮問屋・佃吉の跡取り息子の栄之助に身を焦がすような思いを寄せていたが、栄之助が家柄相応の花嫁を賑々しく迎えた日、佃を飛び出してしまった。その後酌婦に身を堕したお咲は、嫁との不仲で夜ごと飲み歩いていた栄之助と再会する。栄之助は家を捨ててお咲と暮らし始めるが、無職の上に賭け事に手を染めだす。そしてついに多額の信託金の遣い込みの疑いでお咲が警察に捕まり、ようやく留置所から出てくるのだ。
おきよの乗った船が出てしばらくするとお咲がふらりと現れる。そこへ地廻りの辰市が現れ、栄之助は身を持ち直し夫婦仲良く働いているので二度と近づくなとお咲をおどすので、お咲は辰市を大川へ突き落す。
一方佃島では、栄之助の義母お槇が保田政らを連れて米太郎夫婦の家へ押しかけ、今後一切お咲に栄之助を会わせないように強引に手切れ金をつかませようとしていた。その晩、お咲は一目会ったらそれで栄之助を諦めようと佃島住吉神社の境内で待っていた。保田政の連中に見つかり、したたかに殴られ蹴られたお咲をやさしく抱き起したのは栄之助だった。楽しかった二人だけの生活を懐かしがる栄之助を見て、別れを告げに来たはずのお咲に未練が生まれる。しかし、栄之助の妻の喜美江はその時既に身籠っていたのである。物思いに沈んで歩いていたお咲の目に、おでん屋の仙吉の灯りが止まった。娘をいつくしむ父のような仙吉に、お咲はようやく心安らぐことが出来、警察に捕まったのは栄之助の身替わりだったのだと打ち明ける。そしてお咲はもう一度二人で住もうと言ってくれた栄之助の言葉を胸に佃を去る決心をする。雪が降り始めていた。仙吉が出前に出ている間お咲が店の留守を預かっていると、喜美江と、喜美江のおめでたを祝う近所の女房達の声が明るく聞こえてきた。喜美江が去った夜の闇へお咲は引かれるように歩み出した。その手に包丁を握り締めていることはお咲自身も気づいていない。雪は段々と強くなってきた。