花柳十種
蛍
久保田万太郎作・演出で昭和16年6月有楽座で初演。昭和初期の浅草鳥越神社附近が舞台の、根は良い男なのに酒故身をあやまった錺(かざり)職人の物語。
花柳の役=とき・しげ(二役)
あらすじ
今日は浅草鳥越神社のご祭礼という日の夕方、錺職人船木栄吉の家では、栄吉と女房のときが思案に暮れていた。二人の前では、栄吉の兄弟子である鈴木重一の女房よし子が泣いている。重一が情婦のしげの家に入り浸りなのだ。栄吉は、手を切らせようとよし子と共に出掛けていった。
今日は重一と栄吉の親方の命日でもあり、ときは仏壇にお燈明を上げて線香を立てた。その時格子の開く音がして重一が入ってきた。したたかに酔っている彼はそのまま座敷へ上がり仏壇に手を合わせた。どんなに身を持ち崩しても大恩ある親方の命日は忘れてはいない。そんな態度を見てときはついきつい言葉で彼の所業を責めるのだった。
重一とときは元は夫婦だった。10年前重一は酒の上からときの母親に刃物三昧をしてしまい、8年の刑で監獄に入った。服役中の成績が良かった為5年で仮出獄したが、ときとは正式に離縁していた。ときは重一の弟弟子の栄吉と再婚して幸せに暮らしていた。その後、親方の親身な世話もあり、栄吉夫婦の口利きで親方を仲人に重一はよし子と一緒になったのだ。しかし親方の死と同時にそれまで真面目に働いていた重一は再び酒と博打に明け暮れるようになった。重一はつっかい棒がなくなると俺みたいな男は倒れるばかりだと自嘲し、ときによし子の事を頼み、しげと一緒に関西へ行くと言い残して帰っていった。
近所の娘がときに蛍を買ってきた。蛍の籠を渡しながら娘が言った。
「いま、姉さんとそっくりの人にあいました。男の人と一緒にいた―」