歌舞伎・演劇の世界

歌舞伎座の歴史

歌舞伎座は、1889(明治22)年、木挽町の地に誕生して以来、歌舞伎の殿堂として明治、大正、昭和、平成にわたって、古典演劇としての洗練を極めると共にその時代 の息吹を取り入れた舞台を上演し続けてまいりました。また、その間には幾度もの災禍を乗り越え、力強く復興を果たしてまいりました。
歌舞伎座の歩みは、まさに近代日本の演劇史そのものと申せましょう。 2013(平成25)年4月に第五期となる歌舞伎座が開場し、現在も賑わいをみせております。

初代(第一期)歌舞伎座

1889(明治22)年11月~1911(明治44)年7月

第一期歌舞伎座
初代(第一期)の歌舞伎座は、演劇改良運動に熱心だった福地源一郎が中心となって、自らの理想を実現すべく、1889(明治22)年11月3日竣工、11月21日に開場しました。
外観は洋風でしたが、内部は日本風の檜づくりでした。
演劇のジャンルをそのまま劇場の名称としましたが、当時は市村座・新富座などのように座元の名前や地名をつけるのが普通でしたので、歌舞伎座はその存在自体が大変斬新な劇場だったのです。
また、この頃は「團菊左」と呼ばれた九世團十郎・五世菊五郎・初世左團次が揃って出演し、常に劇界をリードしていました。

第二期歌舞伎座

1911(明治44)年10月~1921(大正10)年10月

第二期歌舞伎座
1911(明治44)年10月に、純日本式の宮殿風への大改築が完了。第二期歌舞伎座が誕生し、同年11月に五代目中村歌右衛門襲名披露興行で再開場しました。
1913(大正2)年10月に、松竹合名社(現在の松竹株式会社)が歌舞伎座で初めての興行をおこない、以降、松竹合名社は歌舞伎座を経営下に入れ、翌1914(大正3)年には、松竹合名社の直営としました。そして、1921(大正10)年10月、歌舞伎座は漏電により焼失します。

第三期歌舞伎座

1924(大正13)年12月~1945(昭和20)年5月

第三期歌舞伎座
新しい劇場を建設途中の1923(大正12)年9月1日、関東大震災に遭い、工事が一時中断しましたが、3年の空白を置いて、1924(大正13)年12月に竣工。1925(大正14)年1月、奈良朝に桃山様式を併せた大殿堂、第三期歌舞伎座が新開場しました。
そして、時代は昭和へ。
歌舞伎座は黄金時代を迎えます。
十五世羽左衛門・六世菊五郎・初世吉右衛門などの名優が活躍し、日本を代表する劇場としての地位を揺るぎないものにしました。
しかし、戦時下の1945(昭和20)年5月の大空襲により、外郭を残して焼失します。

第四期歌舞伎座

1950(昭和25)年12月~2010(平成22)年4月

第四期歌舞伎座
空襲により劇場の大部分が失われましたが、戦後、破壊を免れた基礎・側壁・屋根の一部を活用し、修理工事を行いました。
物資の乏しい時期でしたが、第四期歌舞伎座は、第三期のデザインを再現しながら、近代的な設備を取り入れ、1950(昭和25)年12月に竣工、1951年1月に復興開場いたしました。
戦後復興の時代、社会の価値観が大きく変化する中で、歌舞伎にとって大変厳しい時代を迎えますが、その間も、歌舞伎座は数多くの名舞台を送り出してきました。その後、襲名披露興行や海外公演などの評価により苦しい時代を乗り越えた歌舞伎は、今日の隆盛を迎えます。2010(平成22)年4月の興行をもって、建替えのため休館しました。

第五期歌舞伎座

2013(平成25)年2月~

歌舞伎座外観
2013(平成25)年2月、第五期の歌舞伎座が竣工しました。
3月には開場式を行い、4月に新開場、1年間の柿葺落興行を開催しました。
第五期の歌舞伎座は、第四期歌舞伎座の瓦屋根、唐破風、欄干等の特徴的な意匠を踏襲、従来通りの存在感ある和風意匠の趣とすることにより、歴史と景観の継承を図りました。
同時にバリアフリー対応や耐震性の向上、緑化をはじめとする環境対策など様々な機能を兼ね備え、背景には、日本建築の捻子連子格子をモチーフとした品位あるデザインのオフィスビル、歌舞伎座タワーが建ち、銀座の街並みと調和する端正な建物となりました。
伝統と創造が融合した、新しい時代に相応しい劇場です。