歌舞伎・演劇の世界

歌舞伎をとりまくセンテンス

歌舞伎のエンタテインメント性

歌舞伎がエンタテインメント性に溢れている理由としては、江戸時代から歌舞伎はショービジネス化していて、常に観客を喜ばすことに心をくだいてきた芸能であったからです。 例えば世間を騒がした男女の話題や殺人事件が起これば、それを下敷きにした作品を上演したり、人気小説を完結前に歌舞伎にしたりと、まさになんでもあり。メディアミックスも、江戸時代の歌舞伎がすでに行っていたことです。 昨今、人気漫画「ONE PIECE」が歌舞伎になって世間を驚かせましたが、実はそのビジネスモデルはすでに江戸時代に確立していたのです。

女方の存在

女方は歌舞伎の華ともいっても良い存在です。初期の歌舞伎には女性が舞台に立っていましたが、風紀を乱すことから、舞台に立つことが禁止されました。こうした背景のもと、歌舞伎は男性のみで演じられることとなり、女性の役を男性が演じる女方が生まれました。
女性をまねることから始まった女方の芸はやがて洗練されていき、芳澤あやめ(1673‐1729年)のように、普段の生活から女性らしくあるべきだと説く女方も現れ、女性よりも女性らしいといわれる、女方の演技が確立されました。 また、女優という職業が存在しなかった江戸時代は、美貌の女方が美人の基準となることもありました。

隈取

暫イラスト
『暫』(しばらく)鎌倉権五郎(かまくらごんごろう)
歌舞伎のみならず、日本文化を象徴するデザインとしても用いられる隈取は、歌舞伎独自の化粧法で、荒事を大成させた初世市川團十郎(1660‐1704年)が創始し、その子の二世團十郎(1688-1758年)がぼかしの手法を取り入れ、いま見る形になったと伝えられています。
力みなぎる筋肉の様子などを表現する隈取が、歌舞伎の様式美をことさら際立たせていますが、隈取の色によって人物の性格が変わるという約束ごとも、じつによく考えられたものです。
赤の隈取は善人、青の隈取は悪人、代赭(茶)(たいしゃ、茶色)の隈取は妖怪変化というのが、大まかなところですが、隈の種類も「筋隈」「むきみ隈」「公家荒」「朝比奈隈」を始めとして、さまざまなものがあります。

衣裳の美

歌舞伎の衣裳
華やかな衣裳も歌舞伎の見どころのひとつ
歌舞伎の舞台を見る楽しみは、俳優の演技だけではなく、俳優が身に着ける豪華な衣裳にもあります。そしてその存在が、歌舞伎の舞台をひときわ華やかなものにしています。
たとえば『暫』の、鎌倉権五郎の柿色の素襖(すおう)に三升の紋を染め抜いた衣裳からは、歌舞伎ならではの大胆な誇張の表現が衣裳からも伺われます。『菅原伝授手習鑑 寺子屋』の松王丸の衣裳にある雪持ち松のデザインは、雪の重みに耐える松の木と、本心を押し隠して我が子を身替りとする松王丸の役の性格が見事に一致したデザインです。
『廓文章』の藤屋伊左衛門の衣裳は、紙衣(かみこ)と呼ばれるもので、本来は手紙などの古紙をつなぎあわせて衣としたものです。歌舞伎の舞台で用いられる紙衣の衣裳は、紙ではなく布でできたものです が、金糸や銀糸で文字を縫い取り、手紙を貼り合わせて衣に仕立てたようなデザインとなっています。みすぼらしさのなかに色気を感じさせる衣裳です。
一方、『助六由縁江戸桜』の揚巻の衣裳は、五節句を表現したもので、そのなかでも正月の松飾りを意匠として取り入れた打掛は、歌舞伎の衣裳を代表するもののひとつといって良いでしょう。
『妹背山婦女庭訓』の萌黄色に十六むさし(江戸時代に親しまれたゲーム)の紋様をあしらったお三輪の衣裳と、典型的な赤姫の橘姫の衣裳は、町娘と貴族の娘というふたりの身分の違いを視覚的に表現しています。衣裳ひとつを取り上げても実に奥深く、知れば知るほど楽しい歌舞伎の面白さがこうしたところからも伺われます。

定式幕

定式幕
定式幕
黒、柿、萌黄(緑)の3色は、歌舞伎の色としてイメージが定着しており、歌舞伎に関連したさまざまなグッズのデザインに用いられていますが、この3色はどこからきたのでしょうか。
実はこの3色は歌舞伎に欠くことのできない幕である定式幕にちなむものです。定式幕とは江戸時代に幕府認可の芝居小屋のみに使用することを許された、特別な幕のことです。
定式幕に関しては、初代中村(猿若)勘三郎が、軍船安宅丸が港へ入る際の音頭をとり、その褒美の品のひとつとして、安宅丸を覆っていた幕を賜り、それを自身が座元をつとめる芝居小屋の引幕に用いたという伝説が残っています。この幕が黒と白であったことから、中村座の定式幕は黒、白、柿の配色になったといわれています。
現在、歌舞伎座を始めとした松竹製作の歌舞伎公演においては、黒、柿、萌黄の配色による定式幕を用いていますが、この配色の由来については諸説あり、近年の研究では江戸時代の市村座に由来するものとされています。また中村座の定式幕は平成中村座公演などでおなじみになっています。

見得について

見得
歌舞伎の代表的な演技のひとつ「見得」
身体全体に力をみなぎらせた状態で静止して、ぐっと睨んでみせる見得は、歌舞伎の代表的な演技のひとつで、映像におけるクローズアップ演出にもたとえられます。見得をすることを「極まる」(きまる)ともいいますが、まさに良い形で極まるのが見得の特色となっています。見得という演技演出そのものは、元禄年間(1688~1703)にはすでに存在していたと考えられていますが、その起源については諸説あります。
有力な説のひとつとして、初世市川團十郎が得意とした丹前(たんぜん)の演技から見得を生み出したという説があります。手や足を大きくふり出す丹前の演技を途中で静止し、その場で睨んでみせる動きは、まさに「元禄見得」の形そのものであり、初世團十郎の絵姿からもその様子がうかがわれます。