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歌舞伎考第4回道行(ストリート)のならずもの
江戸時代、能や狂言が幕府の庇護下にある中で、歌舞伎はひたすらストリートのものでした。ここで言う「ストリート」とは、たんなる道や通路ではなく、人の行きかう公共空間として、既存のルールやシステムから外れたり、それらと戯れたりするようなことが起きうる空間を指します。
1年ほど前、公共空間でゲリラ的に作品発表を行うことを得意とする現代アート集団「Chim↑Pom」が、東京の高円寺に「道」をつくりました。キタコレビルという雑居ビルの敷地内に「Chim↑Pom通り」なる道路を製作し、24時間一般に無料で開放したのです。私も行きました。ビルの中にありつつ、たしかにそこは「道」でした。ユニークなのは、普段は公共空間をキャンパスに見立てて利用する彼らが、自らのプライベートに公共スペースをつくったことです。
しかし、道はつくっただけでは、「道」になりません。使われなければ意味がないのです。そのために、道を「育てる」必要があることにChim↑Pomは気づきました。この「育てる」という言葉には、たんなる道がストリート性を帯びるためのプロセスが含まれているように思えます。
歌舞伎には、「道」を舞台とする道行舞踊と呼ばれる演目があります。物語の中で「誰かがどこかへと向かう」というパートが踊りとなったものです。
例えば、道行舞踊の一つ『道行初音旅』は、『義経千本桜』という浄瑠璃狂言の一部であるとともに、独立した踊りとしても楽しむことができます。また、長い上演時間のインターバルのような役割も果たします。
登場するのは源義経の恋人・静御前とそのお供、佐藤忠信。忠信は義経から静を守るよう言いつけられていますが、実はこの忠信、子狐が化けた偽者です。子狐は、自分の両親が静の持つ初音鼓の皮にされてしまったため(なんともヒドい話!)、健気にも鼓に執着を抱き、忠信に化けて静の周りをふらついているというわけです。
一方で、静が思うのは恋人・源義経のこと。しばし忠信は、義経の代わりに静の踊りの相手となります。また、忠信は平家を滅ぼした合戦の模様も再現。忠信の兄・継信の戦死の場面では、二人して涙します。……いやいや、よく考えれば、お前は本物の忠信ではなく、子狐だろうが! とツッコミたくもなるところですが、しかし、ここは吉野山オン・ザ・ストリート。物語の設定はしばし忘れて「お遊び」にふけるところに、この道行の面白さがあります。
道行のルーツを遡れば、太古の神々の遊行や巡業に行きつくと言われます。例えば『古事記』や『日本書紀』には、ヤマトタケルが地方の豪族を討ちに行く際に、その経過地点を語るという表現が出てきます。きっとそれは「私たちはどこから来たのか?」という共同体アイデンティティを確認する作業とも深く関わっていたのでしょう。
やがて道行の表現は、京と東国などをつなぐ街道の発達とともに、文学や芸能、音楽において、その様式性を高めていきます。すると面白いことに、こんどは共同体から外れたり、こぼれていく人たちにフォーカスを当てた表現が増えてくるのです。
権力闘争に敗れた貴人、あるいは、この世では結ばれぬ道なき男女。後者は近松門左衛門作品の心中物などで有名です。生きる希望を絶たれた男女に残された時間と空間が、切ない心情を織り込んだ地名ともに、美しくパッケージされます。向かう先は「死」ですが、彼岸で二人結ばれるはず、という未知の共同体への道でもあります(ちなみに、この連載に素敵な挿絵を添えてくれている漫画家、高浜寛先生の作品にも、歌舞伎舞踊『蝶の道行』にちなんだ『蝶のみちゆき』という傑作コミックがあるので要チェック)。
歌舞伎を観る、という行為自体がどこか道行に似ている気がします。劇場で私たちは座席に固定されていますが、Chim↑Pom通りのごとく、胸のうちを見えざるストリートが開通します。見慣れたいつもの共同体からこぼれ落ちて、また新たな共同体へ。そのあわいの空間、猶予の時間に、誰でもちょこっとだけ「ならず者」の気分を味わうことができるのです。
文:九龍ジョー
1976年生まれ、東京都出身。ライター、編集者。主にポップカルチャーや伝統芸能について執筆。編集を手がけた書籍、多数。『文學界』にて「若き藝能者たち」連載中。著書に『メモリースティック ポップカルチャーと社会をつなぐやり方』(DU BOOKS)など。
画:高浜 寛(Kan Takahama)
熊本県天草生まれ。筑波大学芸術専門学群卒。著書に『イエローバックス』『まり子パラード』(フレデリック・ボワレとの共著)『泡日』『凪渡りー及びその他の短編』『トゥー・エスプレッソ』『四谷区花園町』『SAD GiRL』『蝶のみちゆき』など。『イエローバックス』でアメリカ「The Comics Journal」誌「2004年ベスト・オブ・ショートストーリー」を受賞。『ニュクスの角灯(らんたん)』で2018年・第21回文化庁メディア芸術祭 マンガ部門「優秀賞」を受賞。海外での評価も高い。