エンタテインメント
歌舞伎考第3回・後篇「世界」のクロスオーバーがもたらすもの

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(前回からのつづき…)


一作品に使われる「世界」は、一つとはかぎりません。
複数の「世界」を組み合わせて使う、「綯交ぜ(ないまぜ)」という手法もあります。
これを得意としたのが、四代目鶴屋南北。
代表作の一つ『桜姫東文章』には、「清玄桜姫の世界」「隅田川の世界」などが組み込まれています。
最近、世界最高峰のエンタメコンテンツとも言えるMCUの最新映画『アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー』を劇場で観ながら、これもまた、見事な「綯交ぜ」ではないかと思いました。
マーベル・コミックには、それぞれ別個の「世界」で活躍する魅力的なスーパーヒーローやヴィラン(悪役)がいるのですが、時に彼らが協力したり、対立したりすることで「世界」の相互乗り入れが行われます。そうした綯い交ぜのことを、マーベルでは「クロスオーバー」と呼びます。
また、「クロスオーバー」の前提となる共通世界は「マーベル・ユニバース」と呼ばれます。この映画版が、ご存じ「MCU」(マーベル・シネマティック・ユニバース)。

ハイテクアーマーをまとった大富豪『アイアンマン』、怪力の巨人『インクレディブル・ハルク』、神の国の王位継承者『マイティ・ソー』、冷凍保存から目覚めた元軍人『キャプテン・アメリカ』――。
これらまったく次元の異なる「世界」が、MCUの名の下に綯交ぜとなるのです。
コミックならともかく、実写映画でそれが可能となる共通の土台は、「地球存亡を賭けた戦い」という大義だけではありません。そこには、スーパーヒーローたちがみなあまりにも人間的な苦悩やトラブルを抱えている、という共通点もあったりもします。
『アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー』でアイアンマンことトニー・スタークは、敵の宇宙船に乗り込む瞬間、秘書であり恋人でもあるペッパー・ポッツと通信し、彼女とのディナーの約束をキャンセルします。このときのトニーの痛切な気持ちを、私たちは地球の危機と比べて小さな悩みだと笑うことができるでしょうか。主君の一大事に恋人お軽との逢い引きに耽っていた『仮名手本忠臣蔵』の早野勘平もかくあるやです。

ヒーローであることと卑小な人間であることは紙一重。もっと言えば、同時に成り立ちうるし、実はその差は曖昧なのが、現実ではないでしょうか。
鶴屋南北の『東海道四谷怪談』を見てみましょう。
本作には江戸時代のうちにさまざまなバリエーションが生み出されることで早くも定番となった「仮名手本忠臣蔵の世界」が効果的に使われています。
妻のお岩を惨殺し、後に祟られる民谷伊右衛門は、実は「赤穂浪士」という設定なのです。四谷怪談と忠臣蔵は同時進行の出来事として位置づけられ、実際に初演時にはこの二演目が入れ子状態で上演されたりもました。
つまりこれは、主君の仇討ちという大義の裏で、世知辛い欲望に振り回される人々が蠢く物語でもあるのです。

複数の「世界」に整合性をつけて綯い交ぜられた物語は、「ご都合主義」と「予定調和の破壊」との間を揺れ動きます。ムダを省き一本道でうまく語られた物語よりも噛み応えがあり、よほど私たちの現実に近い感触がそこにはあったりもします。
『仮名手本忠臣蔵』や『東海道四谷怪談』、あるいはMCU映画が、現実からはずいぶんとかけはなれた物語なのに、妙にリアリティをもたらすのは、そんなところに秘密があるのかもしれません。


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文:九龍ジョー

1976年生まれ、東京都出身。ライター、編集者。主にポップカルチャーや伝統芸能について執筆。編集を手がけた書籍、多数。『文學界』にて「若き藝能者たち」連載中。著書に『メモリースティック ポップカルチャーと社会をつなぐやり方』(DU BOOKS)など。

画:高浜 寛(Kan Takahama)

熊本県天草生まれ。筑波大学芸術専門学群卒。著書に『イエローバックス』『まり子パラード』(フレデリック・ボワレとの共著)『泡日』『凪渡りー及びその他の短編』『トゥー・エスプレッソ』『四谷区花園町』『SAD GiRL』『蝶のみちゆき』など。『イエローバックス』でアメリカ「The Comics Journal」誌「2004年ベスト・オブ・ショートストーリー」を受賞。海外での評価も高い。