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歌舞伎考第3回・前篇「世界」のクロスオーバーがもたらすもの
歌舞伎初見あるあるの一つに、「なんとなく知ってる話だけど思ってたのと違う!」というものがあります。
例えば、『仮名手本忠臣蔵』。ああ、忠臣蔵でしょ? と思っていると、見知らぬ登場人物達が現れて、「塩冶判官って誰!?」「こうのもろのう?」(お笑いコンビ「さらば青春の光」の森田の言い方で)などと、とまどってしまう。そういうことがままあるのです。
忠臣蔵といえば、江戸は元禄時代に実際にあった「赤穂事件」を脚色したものです。
赤穂藩藩主の浅野内匠頭が高家旗本の吉良上野介にいびられて激昂(実際には諸説アリ)、江戸城・松の廊下で斬りかかり、そのカドで切腹させられる。吉良はお咎めナシ。翌年末、大石内蔵助をはじめとする赤穂浪士たちは吉良邸へと討ち入り、見事、主君の仇討ちを果たしたという例のアレ。
なのに、なぜか登場人物の名前が違うのです。
浅野内匠頭ではなく「塩冶判官」。吉良上野介ではなく「高師直(こうのもろのう)」。
では、大石内蔵助は? というと、これが「大星由良助(おおぼしゆらのすけ)」。
にわかにパロディ味を帯びたりして、ますますわからない。
実は「塩冶判官」こと塩冶高貞も、「高師直」も、南北朝時代に活躍した武将の名前です。
作者たち(二代目竹田出雲・三好松洛・並木千柳の合作)は赤穂事件を脚色するにあたり、登場人物および物語の設定を、軍記物語『太平記』から借りたのです。
どうしてそんなメンドクサイことをするのか。
江戸幕府は同時代の事件、とくに武士階級の絡んだ政治的事件を脚色することを禁じていましたので、「これはいまのお話じゃなくて、南北朝時代の話ですよ~」というポーズをとる必要があったのです。
バレバレですが、ポーズが大事です。『仮名手本忠臣蔵』より以前に、赤穂事件を『太平記』の設定を借りて描いた作品も、存在していました。
さらに身も蓋もないこんな理由もあります。
それは、「そもそも歌舞伎の台本とはそうやって設定を借りて作るものだったから」というものです。
使われる設定は『太平記』だけではありません。『平家物語』『義経記』『太閤記』といった軍記物から、頼光四天王、曽我兄弟などの伝説的キャラクター、能の『隅田川』『道成寺』……ほか、さまざまな先行作品や先行芸能から、事件や出来事、時代背景やロケーション、人物名、人間関係などが抽出され、物語づくりのための設定として使われました。
こうした設定のことを、歌舞伎では「世界」と呼びます。
つまり、『仮名手本忠臣蔵』には「太平記の世界」が使われている、というわけです。
文:九龍ジョー
1976年生まれ、東京都出身。ライター、編集者。主にポップカルチャーや伝統芸能について執筆。編集を手がけた書籍、多数。『文學界』にて「若き藝能者たち」連載中。著書に『メモリースティック ポップカルチャーと社会をつなぐやり方』(DU BOOKS)など。
画:高浜 寛(Kan Takahama)
熊本県天草生まれ。筑波大学芸術専門学群卒。著書に『イエローバックス』『まり子パラード』(フレデリック・ボワレとの共著)『泡日』『凪渡りー及びその他の短編』『トゥー・エスプレッソ』『四谷区花園町』『SAD GiRL』『蝶のみちゆき』など。『イエローバックス』でアメリカ「The Comics Journal」誌「2004年ベスト・オブ・ショートストーリー」を受賞。海外での評価も高い。