新派・松竹新喜劇コラム
第5回 箱の中には

2020(令和2)年 初春新派公演『明日の幸福』(三越劇場)

 初芝居に三越劇場の初春新派公演をみた。
 まだ松のとれないうちのことで、三越デパート六階の劇場につくまでに、ずいぶん着物姿の婦人を見かけた。もっとも、三越劇場はいつ来ても着物の女性が一定数はいて、デパートや劇場が晴れの場であった雰囲気を色濃く残している。戦前からの劇場で、いまも建て替えられずに使われているのは、ここだけである。
 出し物は 『明日の幸福』『神田祭』の二本立て。『明日の幸福』は昭和二十九年に初演された中野實作の喜劇。『神田祭』は清元の舞踊で、歌舞伎出身の喜多村緑郎と河合雪之丞が、久しぶりに水入らずで踊って楽しかった。

2020(令和2)年 初春新派公演『神田祭』(三越劇場)

 おどろいたのは『明日の幸福』が初演から数えて、今回二十六回目の上演だということで、戦前からの新派の人気狂言でも、ここまで再演されるケースはマレであろう。

 ときは昭和二十九年当時の「現代」。山の手に邸宅を構える松崎家は、三世代の同居家庭で、戸主である松崎寿一郎夫妻(水谷八重子と田口守)、その息子夫婦(波乃久里子と喜多村緑郎)、さらにその下の孫夫婦(春本由香と栗山航)が同じ屋根の下に暮らしている。寿一郎は内閣改造にともなって入閣が噂されているさなかで、永田町からの風の便りに一喜一憂している。彼は有力者への進物に、家宝として大事にしてきた「馬の埴輪」を贈ろうと考えるが、その埴輪には、ある秘密があって・・・というもの。

1954(昭和29)年 初演 『明日の幸福』(明治座)
資料提供:(公財)松竹大谷図書館

 この埴輪にまつわるアイデアが面白い。民話にも同じ趣向がありそうだが、中野實は実体験にヒントを得たという。作者の言葉を引用してみよう。〈朝鮮戦争のころであった。私の家が少し手狭になったので、書斎兼応接間を建増しすることになり、大工が三、四人はいっていた。その前に、私は、ジョッキーをすこし集めていたのであるが、そのジョッキーの中に、一つ、手の壊れたのがあった。買うときもむろん承知であったが、セメントでうまくつなぎあわせてあって〉、自分のコレクションの中でも自慢の逸品だった。ところが普請作業中に、大工がそのジョッキーを誤って落としてしまう。大工は蒼白になって、平謝りをしている。中野實はすぐに現場の部屋へ行くが〈見ると、粉微塵に割れていたのではなく、セメントで固めてあった手のところがもげて、正体を暴露していたのであった。若い大工の蒼い顔を見ながら、声にならない笑いを私は腹の中で味った〉。

1954(昭和29)年 初演 『明日の幸福』(明治座)
資料提供:(公財)松竹大谷図書館

 『明日の幸福』では、このジョッキーが埴輪に変容し、かつ、その秘密を三世代の女性だけが心に秘めている、という設計がじつに巧みなものだ。水谷八重子、波乃久里子、春本由香、三世代の妻がそれぞれ「自分だけの秘密」として重荷に感じ、一方の男たちはなにも知らずに凡々と社会生活を送る。その対比があざやかで、女の芝居としての新派劇を結果として引き継いでいる。とくに家長夫人である八重子の松崎淑子は、物語の前半、観客にも内心をほとんど示さない押さえかたで、あとから、ああ、そういえばと思い至るようになっている。

1954(昭和29)年 初演 『明日の幸福』(明治座)
資料提供:(公財)松竹大谷図書館

 三世代同居で、嫁姑のこまごまとした心理戦を繰り広げている家は、いまでは少数だろう。いちばん若く、戦後世代の象徴である富美子が芝居の中で二十歳だとしたら、そして彼女が令和二年に実在するとしたら、すでに八十歳を超えている。初演からは、それくらいの時間がたっている。  にもかかわらず、女性客の多い三越劇場の観客は芝居によく反応し、笑っていた。その笑いは、彼女たちにとって、いまも続くリアルを笑い飛ばしたものであろうか、それとも昭和の昔の「家」を思い返しての笑いであろうか。
 初演のプログラムを開くと、淑子が花柳章太郎、恵子が初代水谷八重子、富美子が若水美子という配役になっている。恵子の夫(松崎寿敏)が伊志井寛。この伊志井寛の娘さんが石井ふく子で、のち放送局に入り、ホームドラマをたくさん制作したのはよく知られるところである。

初春新派公演
一、明日の幸福 
二、神田祭ー新春ご挨拶申し上げますー
会場 三越劇場
日程 2020年1月2日(木)~20日(月)


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文・和田尚久(わだなおひさ)

放送作家・文筆家。東京生まれ。 著書に『芸と噺と 落語を考えるヒント』(扶桑社)、『落語の聴き方 楽しみ方』(筑摩書房)など(松本尚久名義で上梓)担当番組は『立川談志の最後のラジオ』、 『歌舞伎座の快人』、『青山二丁目劇場』(以上、文化放送)、『友近の東京八景』、『釣堀にて』(以上、NHKラジオ第1)ほか。