《デッドマン・ウォーキング》みどころレポート

2023年12月6日 水曜日

音楽ライター・映画音楽評論家 小室敬幸

 

――この四半世紀で初演されたオペラにおける最大のヒット作が、遂にMETの舞台に!

 

 『ショーシャンクの空に』の主人公アンディ役や、イーストウッド監督の『ミスティック・リバー』での幼馴染デイヴ役などで知られる名優ティム・ロビンス。彼が監督・脚本・製作を務めたのが『デッドマン・ウォーキング』という1995年公開の映画だった。その原作となったのが、物語の主人公でもあるカトリックの修道女ヘレン本人が執筆して1993年に出版された回顧録である。2000年に初演されたこのオペラは、映画ではなくヘレンの回顧録を原作として製作されている。

 

 

――映画版よりも原作本来のテーマが深化

 

 このオペラの見どころのひとつめは……、正直に言おう。脚本がティム・ロビンスのものよりも優れているという点だ。原作者のヘレンは死刑廃止論の代表論客であり、ロビンスも廃止を支持する立場を表明しているのだが、彼が手掛けた映画版の脚本だと死刑が最終的に確定したからこそ真実が明らかになったように捉えられてしまうのも無理はなかった。賞を獲た主演の2人――ヘレン役のスーザン・サランドンと、マシュー役のショーン・ペン――の演技によってあの映画は特別なものとなったが、原作の持つテーマはややぼやけてしまったのだ。

 

 それに対してオペラ版では前奏曲のさなか、

いきなり犯行現場を音楽で描き、今回の演出では映像としてもみせてしまう(ドラッグの影響なのか、その映像はややボケているが……)。

そして第1場を修道女たちによる児童福祉施設にすることで本作における宗教的な視点をより際立たせ、第2場となる刑務所への移動過程で主人公ヘレンの人物像を掘り下げ、彼女の行動原理を観客に共有。そして第3場では刑務所の牧師が「〔罪を犯して死刑が宣告されたのに〕未だに無実を主張している者など決して主には出会えません」とダメ押しする。

 

 こうすることで映画版のようにマシュー(オペラではジョゼフ)が死刑に見合う罪を本当に犯したかどうかという、一縷の望みを終盤まで残さない。このオペラでは重罪を犯した人物がどうすれば自らの罪から目を逸らさずに悔いて、赦しを乞うことが出来るのか? そのためには死刑制度が必要なのか?……にしっかりと焦点をあわせることで、映画よりも更に重厚な物語へと深化している。台本を手掛けたのは、トニー賞を5度受賞したアメリカ演劇界の巨匠・劇作家テレンス・マクナリー(1938〜2020)。オペラの台本はこれが初めてだったのだが、舞台向きの翻案はやはり見事というほかない(ヘレンを演じたジョイス・ディドナートは、マクナリーのことを「宇宙一のオペラファン」と評している)。

 

 

――死刑の是非、信仰の有無を超えて……

 

 さて、平成26年(2014年)におこなわれた政府の世論調査によれば、「死刑は廃止すべきである」と答えたのは9.7%と1割未満。反対に「死刑もやむを得ない」と答えた割合は80.3%と8割以上……つまり日本国民の大多数は死刑制度を支持しているのが現状だ。それにクリスチャンの割合も少ない。そんな日本で、このオペラ版『デッドマン・ウォーキング』は受け入れられるのか?

 

 第1幕のクライマックスともいうべき、涙なしに聴けない被害者の両親たちが一同に会す場面では、日本の聴衆の多くは主人公ヘレンよりも被害者遺族に感情移入するだろう(名バリトン、ロッド・ギルフリーの素晴らしい演技と歌唱は必聴!)。その前に置かれた恩赦の検討がされる委員会でのジョゼフの母パトリック(初演ではヘレン役を務めた名歌手スーザン・グラハムが愛情だけはある母を熱演!)の絶唱も感動的だが、やはり日本人の多くは被害者遺族に同情するに違いない。

 

 だが脚本上のドラマツルギーとしては、それで良いのだ。敬虔な信仰心だけでは乗り越えられない巨大すぎる障壁にぶつかったヘレンは、これまでの出来事がフラッシュバックして飽和。抱えきれなくなって倒れてしまう。だからこそ第2幕では、自分がどれほど誠実であろうとしてもそれが言葉の上でだけだったことに気付き、ヘレンはジョゼフだけでなくこの事件に関わるひとりひとりに言葉だけでなく行動をおこして寄り添う。そうすることで少しずつだが事態を変えはじめてゆくのだから……。

 

 2000年に初演されたばかりのこのオペラが既に70以上のプロダクションで上演されてきたのは、死刑制度の是非、信仰の有無といった個人の価値観を超えて、決して解決しようのない、溝の埋まらない問題に対して主人公のヘレンが諦めることなく行動し続けた――おそらくそれを愛と呼ぶのだ!――、その姿勢に胸を打たれてしまうからなのだろう。

 

 

 

 

 

METライブビューイング
2024-25
ラインナップ

pagetop