《ばらの騎士》みどころレポート
音楽評論家 石戸谷結子
18世紀半ば、マリア・テレジア治世下の華やかなハプスブルグ帝国、ウィーンでのお話。女盛りの元帥夫人(マルシャリン)マリー・テレーズには、17歳のオクタヴィアンという伯爵の愛人がいる。夫が狩に出かけたある日、秘かに彼と愛の夜を過ごしていた。そして夜明け、鳥の声で目を覚ました二人は、ベッドの上で昨夜の余韻に浸る・・・。ところから、R・シュトラウスの傑作《ばらの騎士》の幕が開く。30歳を過ぎたマルシャリンは、鏡のなかにうつろう時を感じ、メランコリックな気分になる。いつか、彼も私のもとを去る日が来るのだろうか・・・。オーストリアの文豪ホーフマンスタールが手掛けた台本には、ほろ苦くて甘美な不倫ドラマの裏に、奥深い哲学をしのばせている。
そんな《ばらの騎士》を、1911年頃(作品が初演された年だ)、第1次世界大戦直前(戦争は1914年)の不穏な時代に移したのが、人気演出家のロバート・カーセンだ。プロダクションのプレミエは2017年で、今回はその再演となる。
何といっても見どころは、4人の豪華なキャストだ。まずは、豊潤な声と表現力を兼ね備えた実力派ソプラノ、リーゼ・ダーヴィドセンが、初役となるマルシャリンを歌うことが話題だ。R・シュトラウスが設定した32歳に近い年齢で、背が高く優雅な姿に気品が感じられる。1幕の華やいだ表情から、3幕の毅然としたたたずまいまで、なめらかな歌唱と演技力で見事に歌いあげた。
花嫁に銀のばらを届ける騎士の役、オクタヴィアンを歌ったサマンサ・ハンキーは、METにデビューしたばかりの新星で、少年のようなキュートな容姿とよく透る柔らかな美声のメゾ・ソプラノ。2幕と3幕でゾフィー役のエリン・モーリーと歌う愛の二重唱では二人の声がよく溶け合い、至福の時を醸しだす。流れるようなレガート唱法に定評のあるモーリーは、2017年にも同役を歌って絶賛されており、15歳の快活な令嬢役を美しい高音で演じている。もう一人の主役、田舎貴族のオックス男爵を歌ったのは、いまやこの役を世界各地で歌っているギュンター・グロイスベック。これまで老人のイメージだったオックスを、作曲者が意図した35歳くらいの若々しい男に変えたのは、グロイスベックだった。エネルギッシュで、粗野で、こっけいな好色男という新しいオックス像を、重厚な声でいきいきと演じている。
ところでカーセンが、背景を1911年頃に設定した意図は何だろう。《ばらの騎士》は、優雅でノスタルジックでメランコリックな物語だが、カーセンの演出には、「不穏感」や「しのびよる不安」といった、現代にも通じる要素が加味されている。舞台には軍服姿が多く登場し、大砲や武器も並ぶ。ファーニナルは、武器商人として成り上がった人物らしい。そして3幕には、退廃や背徳の気配が色濃く感じられる。第一次世界大戦前夜の、漠然とした戦争への不安がやんわりとではあるが、表現されているのだ。指揮はヨーロッパを中心に活躍を続けるシモーネ・ヤング。テンポを速め、壮大なスケール感と構成力で見事に全体をまとめ上げた。