《メデア》MET初演 オープニングナイト現地レポート

2022年11月18日 金曜日

音楽ライター 小林伸太郎

 

毎年、ニューヨークの秋の芸術シーズンの本格的な到来を告げるメトロポリタン・オペラのオープニング・ナイト。今年のMETは、9月27日にケルビーニ作曲《メデア》でシーズンを開幕した。

 

エウリピデスのギリシャ悲劇などを原作に、ほとんど19世紀にならんとしていた18世紀末にパリで初演された《メデア》だが、なんとMETでは今回が初上演となった。METでは1950年から72年まで君臨した支配人、ルドルフ・ビングが、マリア・カラスを主演とした本作の上演を考えたという。しかし、カラスが歌う役の選択を巡って二人は激突、ビングがカラスを解雇するに至ったという有名な話は、今やオペラ界の伝説の一つと言えるだろう。もちろん《メデア》上演も立ち消えとなり、MET初演は21世紀の今日まで持ち越されることになったのだ。

 

今回の上演は、ソプラノのソンドラ・ラドヴァノフスキーがピーター・ゲルブ総裁にメデア役を歌うことを希望したことが、大きな契機となったという。ラドヴァノフスキーといえば、METでドニゼッティのチューダー朝女王三部作のヒロインを2015〜16年シーズン中に全て一人で歌い、とりわけ《ロベルト・デヴェリュー》の大成功が忘れられない。2017年にはベルカント・オペラの一つの金字塔、《ノルマ》の題名役をシーズン開幕で歌い、今年は遂に、オペラのみならず芸術が生み出した最も強烈なキャラクターの一つ、メデアを歌うことになったというわけだ。

 

今回のMET初演では、メデアを裏切るジャゾーネ役のマシュー・ポレンザーニから、新妻となるはずのグラウチェ役のジャナイ・ブルーガー、クレオンテ役のミケーレ・ペルトゥージ、メデアの腹心ネリスを演じるエカテリーナ・グバノヴァに至るまで、非常に充実した出演者が揃えられた。しかしながら開幕から約40分、ようやくメデアが登場すると、舞台の空気は一変する。ラドヴァノフスキーの演唱には他の出演者を圧倒する存在感があり、この作品がなぜ《メデア》と呼ばれているのか、直ちに納得させてしまうのだ。熱狂する観客の声援がラドヴァノフスキーに向かって一際熱くなったのは、当然といえば当然のことだった。

 

ご承知のように、メデアは心変わりした夫に復讐するために、相手の女だけでなく我が子を殺してしまう。子殺しなんてあり得ない、というのが正常かつ一般的な考え方だろう。しかし、世間で起きている想像を絶する残虐な事件を思い起こせば、人間はそこまで行ってしまう可能性を秘めていることを認めざるを得ない。ラドヴァノフスキーの初日の熱演には、そんな人間の闇を垣間見せることによって、我々がそこに行ってはいけないことを改めて思い知らしめるパワー、浄化作用とも言えるパワーがあった。

 

METの常連、デイヴィッド・マクヴィカーの演出は、自ら手がけた、鏡を印象的に使った装置で、今までにない鮮烈な視点を観客に与え、カーテンコールでは大きな喝采を浴びていた。しかし何と言っても、《メデア」の成功は、パワフルな題名役なしには考えられない。今回は、ラドヴァノフスキーの題名役あってこその上演であった。映画館の大画面で楽しむライブビューイングの映像も、キャリアのピークにあるディーヴァの熱演に触れるという、オペラならではの醍醐味を余すことなく味あわせてくれるだろう。

METライブビューイング
2024-25
ラインナップ

pagetop