《アグリッピーナ》みどころレポート
コンサートソムリエ 朝岡聡
いまや欧米のオペラ劇場では人気のレパートリーとなっているバロック・オペラ。その魅力は、演出家が自在にアイデアを実現しやすい点と、歌手たちの超絶技巧の演唱にある。それを堪能できるのがこの作品!
D・マクヴィカーの新演出は、物語を現代に設定し、権力と野望と愛がテーマの風刺喜劇を実に洗練された手法で軽快に進行してゆく。オリジナルの台本は基本的に8人のソリストだけで展開する物語だが、マクヴィカーは要所に芸達者な黙役たちを登場させて、歌手と絡んで振付や演技を披露。これがまた実に効果的に場面を盛り上げ、そのアリアの意味もしっかり理解できる仕掛けになっている。私も大いに笑いながら唸った。黙役が出てきたら心してご覧あれ…。
皇帝クラウディオの後妻アグリッピーナは、夫が客死したとの報に、連れ子ネローネを後継皇帝にするべく画策。だが夫は健在で、命を救ってくれた武将オットーネを次期皇帝に約束してしまう。アグリッピーナは野望をかなえるために家臣やオットーネの恋人ポッペアを騙し、さらに夫にも平然と嘘をつく大胆不敵ぶり。一方で騙されたポッペアも自分の愛を全うし、アグリッピーナへの逆襲を果たすべく果敢に対抗。最後は共に願うものを得るというストーリー。
もちろん、歌手たちはMETならではの豪華なメンバーだ。バロック・オペラの音楽的魅力は、速いパッセージを敏捷に歌うアジリタや、同じ旋律を繰り返す時に施す装飾にある。今回は、全キャストが歌に加えてキャラクターを見事に描き出す演技でも魅了してくれる。
まずアグリッピーナを演じるJ・ディドナート。揺るぎない存在感はさすが。最初のアリア〈私の魂は嵐の中でも〉からして強烈なインパクト。黒いスーツに身を包み、軽いステップを踏みながら超絶技巧の装飾歌唱をいとも軽やかに披露する。2幕の〈胸騒ぎが私を苦しめる〉は本人曰く「ヘンデル流の狂乱の場」だそうで、これまた悪女の迫力満点。それを知性あふれる歌に出来るのがディドナートの素晴らしさだろう。
ポッペアを歌うB・レイは今回がMETデビューだが、華やかな姿と声で「恋に燃える女」を熱演。とりわけ物語の後半になるところで、バーカウンターを舞台に恋人オットーネや自分に気のあるネローネを相手にする場面は、大きな見どころであり聴きどころ。華麗なる歌声と芝居の巧さに魅せられること間違いなしだ。
アグリッピーナの息子ネローネ役のK・リンジーも特筆すべき歌手。ズボン役には定評あるが、今回はショートカットの髪形に首筋まで入れ墨のワル息子で登場。結末近くで歌う〈風から逃げる雲のように〉では、エアロビックな演技をしながら目くるめく超絶技巧を歌いきる離れ業を楽しめる。他にカウンターテナーのI・デイヴィーズやバスのM・ローズらも惚れぼれする程素晴らしい…。
300余年前のヴェネツィアで大ヒットした若きヘンデルの傑作オペラに現代のセンスと至芸が加わった極上エンタテインメント。やっぱりMETの味わいは格別だ。