空っぽだったあたしが、
アイドルになれた。
自分の中の「空っぽ」に、みんなの気持ちがたくさん詰まって、膨らんで、
蕾になったあたしはアイドルとして走り出した。
あたしの毎日は大きく変わった。
ひとりぼっち、無感情のまま、
何もかもを持て余していたあの時とは180度違う。
勉強に、レッスンに、取材にステージ。
あまりに新鮮な「初めて」を積み重ねて、
あたしは目まぐるしい毎日を、
風に飛ばされた桜の花びらみたいに、
踊るように駆け抜けていった。
いつかあたしが理想のアイドルになれたなら、
その時もう一度、あなたに会える気がして、
そう思ったら、いくらだってがんばれる。
だから、無我夢中で、
駆け抜けて、駆け抜けて、
楽しさと忙しさに我を忘れそうになった時、
不意に、自分のいる場所がわからなくなって、
季節が初夏に差し掛かったことにも、あたしは気がつかないままだった。
理想のアイドルになるためには、
まだまだ、足りないものがたくさんある。
みんなが応援してくれる分だけ、
早く、早く、少しでも早く、
最高の笑顔を届けたいのに。
理想に手を伸ばせば伸ばす分だけ、
まだまだ届かないことを実感するばかりだ。
あたし、ちゃんと前に進んでいるのかな?
この道を走り続けて、理想のアイドルになれるのかな?
道の先が見えなくて、少しだけ怖くなって、
時々、立ち止まってしまいそうになる。
あたし、ちゃんと前に進んでるかな?
そう思った途端、
まるで空が雲で覆われていくみたいに、
薄暗い不安な気持ちが胸に広がっていく。
すると、いつかの空虚があたしに手を伸ばしてくる。
気がつけば、笑顔は途切れて、
あたしは空っぽを思い出す。
こんなにモヤモヤして、わからなくなってしまうなんて、
あたし、本当はまだ空っぽのままなのかな。
「コンコン! よーしのん!」
「よしのさん、いらっしゃいますか?」
不意に聞こえてきたのは、
たよりちゃんとあやめちゃんの明るい声だった。
「一緒にタイヤキ食ーベよう☆」
「最近お忙しそうでしたので、甘い物でもどうかなと」
二人はいつも、あたしの部屋のドアも、
心のドアも──すぐにノックしてくれる。
「今日はお天気が最高だから、寮のお庭に行ってみよ〜う!」
「賛成です。よしのさん、一緒に行きませんか?」
たよりちゃんが先頭を切って歩いて、
あやめちゃんが白い手をまっすぐに差し出してくれる。
「……うんっ」
握り返した手は暖かくて、
あたしのひとりぼっちが、二人の灯りで明るく照らされる。
「わあ、いいお天気ー!」
寮の小さな庭には初夏の日差しが降り注いで、
暖かな風があたしたちの前髪と、
濃ゆく萌える緑を揺らしていた。
「これからどんどん、暑くなっていきますね」
「溶けちゃいそうだねえ~><」
そうだ。夏が来る。暑い夏がやってくる。
そんな季節の流れに、あたしはやっと気がついた。
「はい、タイヤキ! ちゃんとつめた〜い麦茶もあるよう☆」
「ありがとー、たよりちゃん♪」
タイヤキを頬張るあたしを見て、
あやめちゃんが微笑んだ。
「よかったです。よしのさん、少しお疲れ気味なんじゃないかって」
「あやめんと心配してたんだよう……!」
「あ……」
どうしてわかっちゃうんだろう。
二人のおかげで、あたしは時々、
『ひとりぼっち』を忘れることができるんだった。
「あのね。アイドルになってから、すっごく忙しいでしょ?」
あたしは自分の中に芽吹いた感情を、ひとつひとつ、言葉にして、
たよりちゃんとあやめちゃんに伝える。
あたしが知って欲しい、
今のあたしのこと。
「このままでいいのかなって……急に迷っちゃうことって、ない?」
あたしなりにがんばって、あたしなりに伝えていても、
全然足りない気がしてしまう。
やっと辿り着いた夢のスタート地点がここなら、
きっともっと必死でやらなきゃ手が届かないんじゃないかって。
それくらい──あたしには、最初から眩しすぎる夢だから。
「せっかく、みんなが膨らませてくれたのに」
いつかその蕾を枯らしてしまうかもしれない。
そう考えると、怖くてたまらなくて──
「よしのん、それで元気がなかったんだね〜;;」
「私も不安を感じることは多々あります」
「でも、たよりはいっつも見てるから知ってるよ! よしのんがちゃんと前に進んでるってこと!」
「はい。よしのさんが頑張っていることは、私たちだけじゃなく、ファンの皆さんにもきっと伝わっているはずです」
そう言うと、あやめちゃんは手紙の束をあたしに差し出した。
「今朝、届いてましたよ。すべてよしのさん宛です」
「これで絶対、元気になるよう☆」
「それに、私たちには……何か迷った時に、こうしてお話しできる仲間がいます」
「そうだよう! たよりのこと、ドーンと頼っていいんだからね〜!」
「……ありがとう、二人とも」
ゆっくり閉じた瞼を、
そこに滲んだ微かな涙を、
太陽が温めてくれる。
「またこうして、三人でお茶ができるといいですね」
「いいね〜☆ タイヤキタイムで息抜きしよう〜!」
「うんっ、またしようねー♪」
目を開けた時。
あたしはいつもの笑顔に戻っていた。
* * *
ファンのみんなからの手紙には、
たくさんの感想や激励が書いてある。
衣装、かわいかったよ、とか、
明るい笑顔をありがとう、とか。
あやめちゃんの言う通り、
あたしが歩んでいる道のこと、自分で思っているよりも、
しっかりとみんなは見ていてくれているのかもしれない。
手紙には色々なことが書いてある。
日々の出会いや別れのこと、辛かったこと、悲しかったこと。
美味しかったもの、きれいだったもの、楽しかったこと。
季節のこと。勉強のこと。仕事のこと。
あたしだけじゃなくて、
みんなもいつもがんばってる。
そのことがあたしに勇気をくれる。
みんなからの手紙の言葉──そのひとつひとつが、
あたしの中に芽生えた感情を育ててくれる。
あたしは返事を書くために、
便せんのセットとペンを取り出した。
空っぽだったあたしが、アイドルになれた。
自分の中の「空っぽ」が、新しい気持ちで満たされて、
みんながくれた気持ちがたくさん詰まって、
蕾がどんどん膨らんでいく。
──あたしはアイドルとして走り出した。
この「新しいあたし」は、
たよりちゃんにあやめちゃん──かけがえのない仲間、
そして手紙をくれるかけがえのないみんなが作ってくれたんだ。
そうやって膨らんだあたしという蕾が、
しぼんで枯れてしまわないように。
いつか咲き誇るその春まで、
みんなと一緒に、もう少し──
この先まで走ってみようって思ったんだ。
今のこの場所から、道の先が見えないのは、
きっと未来で舞い散る桜吹雪のせいだから。
#プリレタ のすべてが分かる!
これまでのコンテンツやストーリーを一挙にまとめています。