倉庫に入っていた古いビデオデッキに。
題名のない古びたテープを差し込んだら。
世界の始まり。
画面の中で。
名前も分からないアイドルの女の子たちが。
歌って。
踊って。
笑って。
私に暖かな感情を届けてくれて。
擦り切れるほどに見たその世界は。
時々画面が飛び飛びになって。
止まったりもするけれど。
現実だって〝そう〟な私にとってはほどよくて。
世界と私を、唯一繋ぎ止めてくれるような心地になりました。
画面の中できらきらと輝く彼女たちを見ていると。
ああ。
私には随分と遠い世界だなあと感じたものだけれど。
私が。もしも私が。
このきらきらの世界に行けたとしたら。
――どれだけ素敵なことだろうって。
いつか私が。
いつか私も。
だなんて。
密やかな夢を抱き始めた頃でした。
『不気味だね』って言葉が、聞こえてきて。
それはたぶん私の。
私のふだんの少ない口数とか。
表情とか。言葉とか。
あまり周りの人と関わることもなく――
ずっとひとりでいるところとか。
そういう私のことを見て、
囁かれた言葉なんだろうけど。
不気味だねって。お化けみたいって。
わざと聞こえるように言われる私は。
今日もテープを擦り減らす。
* * *
家に帰って。
倉庫に入っていた古いビデオデッキに。
題名のない古びたテープを差し込んだら。
世界の始まり。なんだけど。
あれ? おかしいな。
あれだけ私の世界を満たしてくれていた、
きらきらとした感情が。
なんだか切り離されてしまった心地で。
ああそうか、最初から。
私が――私なんかが。
憧れて良い世界じゃなかったんだ。
画面が揺れて。止まって。
ざあざあと白黒の雨のような音が響き渡って。
擦り減ったテープは。ぷつんと。
切れた。
* * *
どれだけ時間が経ったかは分からないけれど。
いつの間にか画面は真っ暗になっていて。
時計の針が響く部屋を飛び出して。
家の階段を下りたら、話しかけられて。
『あれ? あやめ、何かいいことあった?』
だなんて。家族にも言われてしまうくらい。
『別に……そんな風に見えたから』
だなんて。家族にも思われてしまうくらい。
私の喜びも。悲しみも。絶望も。
まわりから見たらぜんぶ同じだ。
そんな私が、きらきらと輝く世界になんて。
とてもじゃないけれど。
とてもじゃないけれど。
分かっていた……つもりだったけれど。
テープは切れて。
夢は途絶えて。
家にいるのもなんだか気乗りがしなくて。
その頃から近くの公園のベンチに座って、
本を読むことが増えました。
いつからかは分からないけれど、いつの日か。
隣に小さな女の子が座ってきて。
ベンチに腰かけて本の頁をめくる私の隣で。
はしゃぎ回るほかの子どもたちを、にこにこと嬉しそうに眺める彼女のことが少し気になって。
「あそばないの?」って聞いたら。
彼女はえへへと笑って。
「あそべないの」って答えて。
少しも悲しそうでも。寂しそうでもなく。
そう答えた彼女にそれ以上は聞けなくて。ふうん。
とか。曖昧な相槌を打って。
また本の頁をめくった。
ときどき。ときどき。
なんだけど。毎日。
君と私は。
公園のベンチに座って、ある時。
ボールが足元に転がってきて。
ん。なんて小さく言って。思わず拾って。ん。
このボールを。
私じゃなくて隣に座る彼女が戻すことができたなら。
あの子供たちの輪の中に入ることができるのだろうか。
世界と途切れた私なんかのようにならなくても。
済むのではないか。
そんなことをふと思って。ん。
ボールを渡そうと振り向いたら。
少女は。
にこにこと。
私のことを。私なんかのことを。
見つめてくれていて。
「どうしたの?」
だなんて。
屈託のない微笑みを浮かべる彼女から、
思わず顔を背けて。短く息を吐いて。
頬を赤らめて放ったボールは、
明後日の方向に飛んで行った。
それからの毎日は。
本の頁をめくる音と。
少年少女が公園を駆け巡る音の他に。
私たちふたりの声が混ざるようになって。
ときどき。ときどき。
なんだけど。毎日。
君と。私で。
とりとめのない話をしながら。
過ごした時間は、きっと世界と繋がっていて。
ときどき。ときどき。
なんだけど。毎日。を。
過ごしていたある日。
君は帰り際の夕焼けの中。
橙色に染まる頬を上げて、恥ずかしそうに笑って。
私に〝手紙〟を差し出して。
「私に?」
そう。私に。私なんかに。
宛てられた手紙だった。
もらうのなんて、たぶん、初めてだったから。
思わず封に手を掛けたら。
恥ずかしいからと君は笑って。
――あたしが見えなくなったら開けてねって。
君は囁いて、そのままいつもみたいに。
夕陽の中に消えていった。
振り返りもしないで。
いつもみたいに。いつも通りに。
しっかりと背中を見送ってから。
手紙を開けたら。
そこには彼女のことが書かれていて。
大きな病気を抱えてる、
私の知らない彼女のことが書かれていて。
治すための大きな手術を近々、控えていて。
それが成功する確率は――
とっても小さいものらしくて。
受ける勇気がなかったけれど。
それを私が。
私が。
……私、なんかが。
私なんかとの毎日を過ごすうちに。
勇気をもらえたって。
そんなようなことが、書かれていて。
それで、この手紙を最後にして。
もう公園には来ないって。
手術が終わって。
明日来られなかった時に、自分も悲しいから。
きっと泣いてしまうから。
あははって。おかしいよねって。
その時はもう――泣くこともできないのにねって。
それでも。
とっても悲しい気持ちになっちゃうから。
それに。
とっても悲しい気持ちにさせるのもいやだから。
手術の結果に関係なく、もう会わないって。
だから〝さようなら〟って。ありがとうって。
あなたは私の――アイドルでしたって。
もう。そんなの。ずるいよ。
私にも、ちゃんと。挨拶くらいさせてよ。
ありがとうくらい言わせてよ。
さようならじゃなくて、またねって言わせてよ。
ねえ、お願いだから。
ねえ。
お願い――
でも。次の日。
少女は公園に来ることはなくて。
次の日も。
それからも。
ときどき、ときどき。
なんだけど。毎日。
彼女が来ることは、もう――。
こうしてまた。
私と世界は――途切れた。
* * *
手紙は今でも読み返していて。
私なんかに宛ててくれたありがとうの文字と。
何度も読み返して、
擦り切れそうになっているたくさんの文字を。
滲んだ文字を。
その最後の言葉を。
繰り返し読みながら。
いつかまた。
世界と繋がれるように。
あなただけで良いから。
私なんかにありがとうと言ってくれた。
アイドルだったと言ってくれた。
そんなだれかのために。
そのだれかのために。
世界と繋がっていよう。
――そんなことを思った。
* * *
あれから時間が流れて。
公園に行って。ベンチに座って。
響くのはいつかと同じ。
公園で遊ぶ少年少女たちの声と。
本の頁をめくる音。世界の音。
そんな音たちが途切れ途切れに響く、
擦り切れたフィルムテープみたいな空の下で。
君がまた、笑ってくれていることを信じて――。
ときどき。ときどき。
だけど、毎日。
私の世界は、題名もない音と一緒に。
いつかに向かって――。
* * *
#プリレタ のすべてが分かる!
これまでのコンテンツやストーリーを一挙にまとめています。