松竹発祥の地・新京極エリアの松竹の劇場・映画館の歴史を写真とともにご覧いただけます。
新京極阪井座
14歳になった松竹の創業者の大谷松次郎・竹次郎兄弟は、祇園館で観た中村鴈治郎・市川團十郎の舞台に目を奪われました。そして「将来自分たちもこのような大劇場を持ち、名舞台の興行をしてみたい」と深く心に誓いました。その後1895(明治28)年、大谷竹次郎が新京極阪井座で、父の代理で仕打(興行主)となり、劇場経営の大きな一歩を踏み出しました。
新京極阪井座 ※写真は当時の辻番付
1899(明治32)年、4年間代理で阪井座の仕打を務めていた竹次郎は、その気迫により誰もが認める座館の主となりました。
新京極歌舞伎座
1900(明治33)年、老朽化の阪井座を取り壊した跡地へ、買収した花見小路の祇園館を移転させ、歌舞伎座と改称して開場しました。
新京極歌舞伎座
1934(昭和9)年、映画館に転じました。
松竹京映
1936(昭和11)年、新築。松竹京映と館名が改められました。
SY松竹京映(京都松竹第三ビル)
1970(昭和45)年、新たに建て直されSY松竹京映として生まれ変わりました。老朽化により京都松竹第三ビルを解体。
京都松竹阪井座ビル
2018(平成30)年、ホテルと商業施設が入った複合ビル、京都松竹阪井座ビルが完成しました。
常盤座
現在はMOVIX京都南館となっている場所で、新京極開発と同時に誓願寺近くの竹林院跡に、芝居の常小屋が建てられました。
常盤座
1900(明治33)年、白井松次郎が仕打となりました。
明治座
1902(明治35)年、常盤座跡地に新築開場しました。
京都松竹座
外国映画の専門興行を開始しました。
MOVIX京都南館
2001(平成13)年、5スクリーン(北館と併せて12スクリーン)をもつMOVIX京都の南館として開館。
夷谷座(えびすざ)
夷谷座の売店経営者の白井亀吉が、松竹の創業者の一人、白井松次郎の義父であったことから松竹の劇場となりました。
夷谷座
1895(明治28)年、白井松次郎が興行主となり歌舞伎の劇場となりました。1907(明治40)年、改修竣工。1938(昭和13)年、改築。京都松竹劇場として開場しました。
京都ピカデリー(京都松竹第二ビル)
1954(昭和29)年、館名をピカデリー館と改めSY系洋画京都封切館となりました。
2017(平成29)年、土地を賃貸している藤田観光(株)がホテルグレイスリー京都南館を開業しました。
京都座
時代の流れとともに劇場、ボウリング場、映画館などに移り変わり、現在は7スクリーンを有するシネコン、MOVIX京都北館となっています。
京都座
1913(大正2)年、持ち主・高木徳兵衛より譲り受け、松竹経営の劇場となります。1949(昭和24)年、東映系映画封切館に転向。その後大映、松竹各映画興行を経て、1963(昭和38)年に閉座した後、ボウリング場になりました。
京都ロキシー
ボウリング場の後に映画館として開館。1999(平成11)年に閉館しました。
MOVIX京都北館
2001(平成13)年、7スクリーン(南館と併せて12スクリーン)のシネコンとして現在のMOVIX京都北館が開館されています。
京都四條南座
1615〜1623(元和1〜9)年、京都四條河原に公許された7つの櫓の伝統を今に伝える唯一の劇場です。四条通をはさんだ7つのうち、明治を迎えたのは2座のみで、1893(明治26)年に北側芝居も廃座となり、 京都四條南座だけが歌舞伎発祥の現在地に残りました。
京都四條南座(明治期)
1906(明治39)年、白井松次郎、大谷竹次郎兄弟の松竹合名社が経営に当たりました。
京都四條南座(大正期)
1913(大正2)年、改築。
京都四條南座(昭和~平成期)
1929(昭和4)年、由緒ある櫓を備えた桃山風破風造りの豪華な劇場を竣工。1991(平成3)年、景観にとけこんだ建物はそのままに、内部設備を一新した最新設備の近代劇場として改修。1996(平成8)年、国の登録有形文化財に登録、その後京都市の歴史的意匠建造物にも指定されました。
京都四條南座
2018(平成30)年11月、約2年間の耐震補強工事を経て再開場しました。