作品のテーマを写真で捉える
スチールカメラマン 金田 正
映画館に飾られた一枚のポスター。そのポスターの前に立つと、作品の世界観が体中を包みこむ。そして、誰が主役なのか、どんなテーマの作品なのか……。それらを瞬時に理解し、期待に胸が膨らんでいく。シャッターを押すと同時に、収められる作品の時間と物語。その一枚、一枚の写真に全てをかける仕事がある。今回は松竹撮影所よりスチールカメラマン・金田正さんをご紹介します。
Q.スチールカメラマンを志すようになったきっかけを教えてください。
金田:学生時代、演劇が好きで早稲田大学と日本大学を2回受験したのですが、ダメでした。そんな折、親の紹介で入学をしたのが、写真を勉強する短大の学校でした。始めてみると結構上手く、就職活動では日本教育テレビ(現在:テレビ朝日)と松竹の2社を紹介してもらいました。日本教育テレビは受験をしに行ったものの、筆記試験が全くダメで、何も書かずに会場を後にしました。松竹の方はというと、ちょうど観ていた『大いなる西部』(ウィリアム・ワイラー監督・1958年公開)が出題され無事合格。最初に配属をされたのは、京都撮影所でした。当時のスチールカメラマンは、年齢層が高く若い人があまり希望する職種ではありませんでした。撮影所の次長に「君は撮影部(撮影監督)と間違えたんじゃないか?」と聞かれたほどでした(笑)。初めて携わった作品は『命との対決』(酒井辰雄監督、1960年公開)。前部にレンズ、後部にガラス板がついた暗箱カメラでしたね。
金田:そうです。京都撮影所に3年いた後、1962年に大船撮影所へ異動しました。大船撮影所はとにかくタテ社会でした。小津安二郎監督や木下惠介監督はじめ、野村芳太郎監督、中村登監督、そして山田洋次監督など、チーフはもちろんのこと、助手の助手まで専任のスタッフが決まっていて、組(くみ)と呼ばれるチームを作っていました。スチールカメラマンでも、山田組には先輩の長谷川さん、野村組には赤井さん、といったように張り付いていて、新入りの私など入る余地もありませんでした。おそらく、当時の撮影所で働いていた人は、800人はいたと思います。組同士のライバル意識も強く、ピリピリとした独特の緊張感がありました。一方で、飲み屋で顔を合わせれば「あの映画はこうだった」と感想を言い合うなど、切磋琢磨する関係性でもありました。ようやく見かねた松竹のプロデューサーが私を担当につけてくれたのが、『その口紅が憎い』(長谷和夫監督・1965年)でした。この頃には、暗箱カメラからレンジファインダーカメラ(モノクロ・カラー)に変わっていました。
金田:その後長い間、カラー用とモノクロ用の2台のカメラを首からぶら下げていました。デジタルカメラを持つようになったのは、『釣りバカ日誌16 浜崎は今日もダメだった♪♪』(朝原雄三監督・2005年公開)でした。担当宣伝マンから、マスコミにデータで写真を渡したいという要望があり、デジタルに切り替えました。暗箱、レンジファインダーカメラ(モノクロ・カラー)、66判一眼レフカメラ、一眼レフカメラ、デジタルカメラ、デジタルカメラ……。私のスチールカメラマン人生は、カメラの変遷でもありますね。
Q.スチールカメラマンとは、どういったお仕事内容なのでしょうか。
Q.一連の仕事の流れを教えてください。
金田:台本があがってくると作品のテーマを探します。この作品は何を伝えたいのか、そのためにはどの俳優を撮影し宣伝する必要があるのか……。宣伝の担当者と話して、それをもとに撮影をしていきます。撮影といっても、ただ写真を撮るだけではなく、演出をする力も求められます。映画のスチールは一般的な写真とは違い、綺麗に写すだけではいけません。撮影をしたいのは、個人ではなく役柄になり切った俳優の姿だからです。特にポスター撮影だと、作中にない場面設定を作りこみ、撮影するため、写真のシチュエーションやどういう役の心情として撮影をしたいのかなどを俳優に説明、演出し、個人の持つ癖をはぎ取っていく必要があります。
―緊張感ある撮影現場でシャッターを切るとなると、色々と気をつけなければいけないことも多いかと思います。
そうですね。とにかく撮影の邪魔にならないことが第一です。最近はミラーレスでシャッター音が鳴らないカメラも増えてきましたが、昔はシャッター音が鳴り響いてしまっていたため、本番中は撮影厳禁。カットがかかってから、「すみません! 同じ感じで撮影したいのでもう一度お願いします!」と俳優に声がけをし、撮影をするのですが、役に入っている時と入っていない時では顔つきが違います。“同じ”にはなかなかできない、難しさがありましたね。
―監督によって、スチールに求められるものは異なってくるのでしょうか。
作品のテーマを捉えるという基本は、どの監督作品も変わりません。ただ山田洋次監督の場合、現場に入る前に作品のテーマが何か、どういうコンセプトでポスターを撮影し、宣伝をするのか、一通り説明をしなければいけません。監督の前で説明をするというのは正直嫌ですが、監督にとって作品は我が子同然なんですよね。その我が子をどう扱うのか、聞きたいのは当然だと思います。後、山田監督は問答を通して人の質や能力を試してもいます。監督が作ろうとしている映画を理解している人物かどうか、判断をしているんだと思います。
Q.『砂の器』(野村芳太郎監督・1974年)のスチールも担当されていらっしゃいますが、ぜひあの名ポスターができあがった裏話を教えてください。
―数々の作品を担当されてきた金田さんから見て、近年のスチールはどのように思われますか。
Q.最後に、スチールカメラマンに求められる素養を教えてください。
金田正(かなだただし)
1959年松竹京都撮影所の宣伝部スチール係に配属され、60年『命との対決』でスチールマンとして撮影現場に参加。62年大船撮影所異動後も木下惠介、中村登、野村芳太郎、大島渚ら名だたる監督の現場をカメラで撮り続け、携わった作品は150本を超える。山田洋次監督作品『男はつらいよ』シリーズでは、41作目『男はつらいよ 寅次郎心の旅路』(89)から最新作の『男はつらいよ50 おかえり、寅さん』までを担当。後進の育成に努めながら今も現役として活躍し、製作から配給まで作品に携わるすべてのスタッフから高い信頼を寄せられている。2011(平成23)年度文化庁映画賞・映画功労部門受賞、18(平成30)年度第42回日本アカデミー賞協会特別賞受賞(スチールマンとして初受賞)。
<おまけ>教えて!スチールカメラマンおススメの一作
『男はつらいよ』シリーズ
この作品に関しては、シリーズ50作で一本の長い映画だと思っています。渥美清さんは本当に偉大な方でした。