台本という印刷物をスクリーンに視覚化する
撮影監督 近森眞史
台本の中に広がる物語の世界。それらを画として映し出し、嘘の世界を現実としてお客様に届けるために、すべてをかける仕事がある。今回は、松竹撮影所より撮影監督・近森眞史さんをご紹介します。
Q.撮影監督を志すようになったきっかけを教えてください。
助手が4人と撮影技師の5人体制でした。まずはチーフ。昔はヘッド。この人は、Bカメラや実景を撮ったり、機材やフィルムの発注、会社とのやりとりをします。大船撮影所には特機部(※1)が無かったので移動車を押したりもしました。次にセカンドは、撮影技師の指示に従い、照明部の怖いお兄さん達を指図して決められた絞りになるように光の強弱を決めていきます。サードは、動く俳優さんにピントを目測で合わせていくピントマンの仕事です。その下のフォースは、フィルム係りです。暗室でフィルムをマガジン(※2)に入れて、キャメラに装着します。撮影が終わったら、皆の血と汗の結晶である撮影済みのフィルムを現像所に送ります。現在ではデジタルキャメラになって、フィルムの出し入れはないのですが全般的に機材が軽くなったせいか助手の数は減らされる傾向にあります。大変な仕事というのは変わりません。
Q.作品が決まってから終了するまでの一連の仕事の流れを教えてください。
撮影開始の約3カ月前の2018年7月11日、山田監督より作品の最新作の概要と希望を拝聴。翌週には脚本と助監督を務める朝原さんと、成田空港へシナリオハンティング兼ねたロケハン、そのまた翌週には現像所や撮影機材屋の方々を交えてデジタルワークフロー、使用機材の選定などを行いました。待ちに待った台本を受け取ったのが、8月15日でありました。
――クランクアップ後は、どのような作業があるのでしょうか。 近森:映画というモノが監督や撮影監督の作家性というものによると考えた場合、一人一人表現方法は違うものになります。その為に撮影前にテストとか繰り返すわけですが、自然光相手に奮闘しても、色はどうしても統一されずに定着してしまいます。これを修正して一貫性を持たせる、クランクアップ後はこの作業に終始するのです。色をRGB3原色(※3)に分けて数値化したもので色を操り、デジタルではコンピューターを使ってスクリーンを見ながらカラーコレクションを行います。最近ではVFX班の作成したカットのチェックもアップ後の仕事です。
近森:撮影自体は、デジタルであろうとフィルムであろうと、人間をレンズを通してとらえ、お芝居を撮る姿勢は何一つ変わりません。しかし、被写体にキャメラを向けて写っているだけ、写っちゃったではないのです。撮影という行為は単に記録していくこととは違うのだ、ということが分かっていなければいけないと、最近の映画を観ていて思います。編集後の処理で自由に編集段階でなんとでも変えることができますが、撮影という行為は、考え抜いた末の「このカットが必要だ」という想いを持つことが重要です思いつきで簡単に加工できてしまうと、最初に映画として一本の一貫性を保つために決めたはずのモノを無視し、歯止めがきかなくなってしまう。自分でも知らない間に作品が変わってしまう可能性もあるし、騙された方向にいっているのではないかと、振り返ることが必要です。 映画業界は今、1960年代から70年代にかけてと同様のものすごく大きな変革期を迎えていると思います。機材が軽量化され自由にどんなところにも行けるようになりました。また、大きくて重いライトがなくても、思い通りの映像が簡単に狙った通りに作れる、そんな時代がやってきました。だからこそ、最初に考え抜いたことをやりきることが大事になると思います。
Q.最後に日頃から撮影監督として心がけていることを教えてください。
(※1)特機部:撮影において撮影用の大型クレーンなどの特殊機械を操作する部門
(※2)マガジン:露光する前の生フィルムと露光済みのフィルムが収納されているカメラの一部
(※3)RGB3色:Red(赤)、Green(緑)、Blue(青)の3原色
近森眞史(ちかもりまさし)
1958年高知県生まれ。82年より大船撮影所にて川又昂・高羽哲夫両氏に師事。助手として『疑惑』、『迷走地図』、『黒い雨』、『男はつらいよ』などに参加。95年朝原雄三監督作品『サラリーマン専科1〜3』、『釣りバカ日誌14〜20』、2010年公開『おとうと』以降の山田洋次監督作品の撮影を担当。
<おまけ>教えて!撮影監督さんお勧めの一作
『ローサは密告された』(ブリランテ・メンドーサ監督、2016年公開)
デジタルの変革期だな、と思った作品です。社会から見捨てられる存在を描いており、ドキュメンタリーのように見えてしまいます。