1951年
日本初の総天然色映画『カルメン故郷に帰る』
1951(昭和26)年『カルメン故郷に帰る』(木下惠介監督、高峰秀子主演)が、わが国初の「総天然色映画」として公開され、話題を呼びました。富士フィルムと提携した国産カラー・フィルムによるもので、木下監督、楠田浩之カメラマン以下のスタッフが幾度となくテストを重ね完成させました。
物語は、気のいいストリッパー(高峰秀子)が仲間の踊子(小林トシ子)と一緒にスター気取りで、故郷の軽井沢に帰って来て、のどかな村にてんやわんやの大騒動を引き起こすという、まさに大船調ならではの映画です。
物語は、気のいいストリッパー(高峰秀子)が仲間の踊子(小林トシ子)と一緒にスター気取りで、故郷の軽井沢に帰って来て、のどかな村にてんやわんやの大騒動を引き起こすという、まさに大船調ならではの映画です。
『カルメン故郷に帰る』(監督・木下惠介)©️松竹
わが国初の試みには、様々な技術やコストの面で問題が多く、結果的にカラー撮影とモノクロ撮影という、二度手間をかけて撮り上げた作品となりましたが、新聞広告などで「総天然色映画」を前面に打ち出した結果、映画の興行は大成功を収めました。
『カルメン故郷に帰る』新聞広告©️松竹
1953年
『君の名は』が日本映画の興行成績の記録を更新
松竹の撮影所は1920(大正9)年以来、恋愛メロドラマを最も得意としてきました。そして、この分野で最大の成功をおさめ、それまでの日本映画の興行成績の記録を更新したのが、1953(昭和28)年9月に封切ったメロドラマ『君の名は』三部作でした。そのラジオの放送時間には、銭湯がカラになると評判になった菊田一夫作連続ドラマを、柳井隆雄が脚色、大庭秀雄が監督、佐田啓二と岸恵子主演で、松竹大船撮影所ならではのドラマ作りが、のちのちまで伝説的に語り伝えられるほどのファンの熱狂を巻き起こしました。
『君の名は』(監督・大庭秀雄)©️松竹
1954年
『二十四の瞳』
『君の名は』公開の翌年に封切った『二十四の瞳』(主演・高峰秀子)は、木下惠介監督が、庶民感情を通じて戦争を忌避し平和への願いを込めて作った感動大作となりました。
この映画は文字通り日本中の老若男女を泣かせました。戦争へと突き進んだ歴史のうねりに、否応なく呑み込まれていく女性教師と生徒たちの苦難と悲劇。戦争は罪のない善良な人々も死なせてしまう結果となると、観客の心に訴えました。
この映画は文字通り日本中の老若男女を泣かせました。戦争へと突き進んだ歴史のうねりに、否応なく呑み込まれていく女性教師と生徒たちの苦難と悲劇。戦争は罪のない善良な人々も死なせてしまう結果となると、観客の心に訴えました。
『二十四の瞳』(監督・木下惠介)©️松竹
1950年代
『てんやわんや』 『自由学校』 『やっさもっさ』
松竹大船は、その前身の松竹蒲田以来、都会的な風俗喜劇を得意としてきた撮影所ですが、1950年代において、小津安二郎や木下惠介とならんで、この撮影所のその分野を代表する存在だったのは渋谷実監督です。
とりわけ風刺作家獅子文六の小説による『てんやわんや』『自由学校』『やっさもっさ』の三作は、敗戦後の混乱した世相を背景に、戦後の民主化で〈解放された〉女と、〈自信を失った〉男という価値観の転換から生じる、軽率で滑稽な状況をにぎやかにスピーディーに展開して評判になりました。
とりわけ風刺作家獅子文六の小説による『てんやわんや』『自由学校』『やっさもっさ』の三作は、敗戦後の混乱した世相を背景に、戦後の民主化で〈解放された〉女と、〈自信を失った〉男という価値観の転換から生じる、軽率で滑稽な状況をにぎやかにスピーディーに展開して評判になりました。
『自由学校』(監督・渋谷実)©️松竹
次回・Part13 〈隠れた名匠〉