八重子十種
寺田屋お登勢
風雲急を告ぐる幕末、坂本龍馬を支えた多くの人々の中に、伏見の船宿の女主人お登勢がいた。俊英劇作家榎本滋民が水谷八重子のために書き下ろした傑作である。初演は昭和43年2月で龍馬役は岡田英次(ひでつぐ)であった。46年の再演の龍馬は瑳川哲郎であった。八重子のお登勢は穏やかなうちに芯のある女性を巧まずして見せた。
八重子初演=昭和43年2月明治座
あらすじ
伏見の船宿寺田屋は薩摩藩士の定宿であった。寺田屋の女房お登勢は美しさと侠気を兼ね備えた女丈夫との評判が高かった。亭主の伊助は怠け者のくせに威張りたがる小心者で寺田屋はお登勢で持っていると周囲からは思われている。歴史的事件となった薩摩藩士同士の寺田屋騒動のときもお登勢は動じることなくすべてを見届けていた。その事件のあった同じ夏、寺田屋の店先にふらりと現れた男がいる。元土佐藩士坂本龍馬である。みすぼらしいなりであったが、その両眼は澄んでおり、先行きのある若者の世話をするのがたった一つの道楽であったお登勢にとって龍馬は弟のようであり、同時に器の大きさを感じさせる魅力的な男であった。龍馬もまたお登勢を姉のように慕って甘えていた。そんなお登勢にとって気になるのは龍馬から預かって娘分とした若く奔放なお龍の存在であった。慶応2年1月、龍馬の働きによってついに薩長連合が成った。大事業を成し遂げた興奮に祝杯をあげる龍馬がお登勢にとってはいつもにもまして魅力的に見える。そこに幕府の捕吏が襲い掛かり、龍馬は負傷してしまう。お龍は薩摩屋敷に助けを求めて龍馬を危機から救う。お龍の看病により命を取り留めた龍馬はお龍を生涯の伴侶と決める。薩摩への新婚旅行へ向かう二人を見送るお登勢の胸の奥には、誰にも言えない寂しさがあったのだった。